天天

1999生まれ. アーティスト. 和太鼓奏者.

たんたんと日々を続けるだけ

大好きだった人と別れた。

なんだったんだろうと思ってしまった、今まで過ごした時間とか、くれた言葉とか、何が本物だったんだろうか

何を信じていいのかわからなかった

こないだは、

「応援したいと思えない」

「一緒にいて楽しくない」

と言っていたのに

 

別れの電話では、

「今までで一番優しい人だった」

「あなたと出会えて人として成長できた気がする」

「ずっと応援してる」

と言ってて

全てが綺麗事にしか聞こえなかった。

綺麗に終わらすための嘘にしか聞こえなくて、それが悲しかった。

もっと心の声を言葉にしてほしかったのにな

 

持ち歩いているあなたの部屋の鍵を早く返さないといけないね。

 

少し前から別れる気配は感じていたのに、きついな

落ち込んでるというか、何にも身が入らない感覚が、地味につらい

 

毎晩してた電話がなくなるのはすごく寂しいな

 

本当に大好きだったな。

 

幸せにする、じゃなくて、「一緒に幸せになろう」と言って告白してくれたときのこと、忘れられない

「一人でも100%幸せになれるけど、二人だと100%以上幸せになれる」

と言ってた彼の考え方が素敵だった。

 

大好きだったけど

私は彼との恋に惚れていただけなのかなとも思ったりする

彼の私に対しての気持ちがそんなに無いのも気づいていた。

私じゃなくてもいいんだろうなって思ってた。

「俺、結婚したいんだよね」

私との未来が見えないと言ってた彼はそう言っていた。

 

私も

気持ちのない行動に気づいていたけど、無視していたな

最後に喧嘩するつもりもないから、

「次はきっとあなたに合った人に出会えるよ」

「次に付き合う子はたくさん笑わせてあげてね」

と、嫌味っぽいことを言った。

 

私は、なんだかがんばろうと思ったよ。

振ったことを後悔するような、人になるよ。

今は少し悲しいし寂しいけど、私も幸せになるから大丈夫

 

いつも先に電話を切るのはあなただけど、

最後は私が電話を切った。

 

さようなら

うつ?

時間 お金 仕事

時間があっても仕事がなくて生活が成り立っていないとやりたいことができない。

仕事をしてても時間に余裕がないとやりたいことをやる気が起きない。

やりたいことがあってもお金に余裕がないとやりたいことができない。

 

続けることは難しい

と今の私は思う

 

やりたいことをやり始めたときは良い

モチベーションもあって、頑張ろうと思える。だけどやっていくうちに、何かしらの壁に当たる。三日坊主にならないようにするには、いかに自分の機嫌を上手く取ってモチベーションとメンタルを保ち、飽きない工夫と時間の使い方ができるかが大事になってくる

私の場合、できない時があると継続の波が切れがちだ。

 

いま、できない時かもしれない。

うつ?の波が、来ている

社会恐怖、人間恐怖、孤独感、無力感、自己否定、自己批判、、、自分を苦しめているのは自分の考え方トラウマ思い込み。わかってるんだけど

なんでか涙が止まらなくなる

なにに対しても、なにもかもに絶望する、自信がえぐられるほど削ぎ落とされていく、ものの捉え方が歪み、少しの間違いで存在全てを否定されるような感覚に陥る。

自分の土台が安定していればそうならないのか?わからないけど、土台を安定させる余裕すらもなくなり、地球滅亡すればいいのにとか思い始める。よくない、こわい、このまま視野が狭まって、本当に死しかみえなくなったらどうしよう、私は大丈夫なのか、大丈夫だと思える理由がほしい、認めてほしい、自分で自分を肯定できるようになりたい。

全てが怖くなってしまうとき、どうすればいいのか。

この一年、何度生きるのが辛いときを乗り越えてきたか

本当は自分が自分のことを一番わかっているはずなのに

 

私は、大丈夫になりたい。

無職のつらさ

働いてないのいいな〜

ってみんな言う。

みんな、無職が楽だと思っている。

周りのみんながそうだと思い込んでしまう。

退職手当でもらえる分を、稼げると思わなかった。そもそも、働けなかった。

教員を辞めてから、心と体の不安定な波が、どんどん生まれるばかりだった。

胃腸の調子が悪くて救急車を呼んでもらったり、つらくて寝れなくて、それでもお腹は減って、泣きながらじゃがいもの皮をむいたり、私は躁鬱なんだろうなと自覚して、鬱のきっかけだけははっきりしていることとかに気づいたりした。

私は働けない正当な理由が欲しかったのだろうか。とも思う

でも本当につらくて、生きるか死ぬかのようなギリギリの日々を過ごすことでいっぱいだった。

しにたかったけど、しぬために行動するモチベーションすら無かった、それも辛かった

 

仕事をしている時は、仕事を辞めて時間が増えたらどんなに幸せだろうと思っていた。

その夢が叶った今ですら、つらくて、消えたくて無になりたくなる

人が求める「憩い」はどこにあるのだろうか

生きていれば死はあるのに、どうしていなくなりたいと思うのか。

働いていても、無職でも、辛さは同じだった。

何もしてない人はいないかもしれない

毎日寝ているだけの生活が、どれほど辛いかは働いていない人にしか実感できない

 

「次の仕事決まった?」「バイトはしてるの?」「ちゃんとしなよね」「早く働いて遊ぼー」

うるさかった

私は自分のためだけに生きることなんて、できるわけがないと思った

 

仕事を辞めてから、新たな夢ができたけど、

やりたいことを貫くのには、周りからの言葉に耐えられる精神が必要なんだ。

認めてほしい、受け入れてほしい、聞き入れてほしい

そういう感情があるからめんどくさい

よくわからない

自分がどうしたいのかわからなかった。

何が逃げで、何が甘えで、何が正解か

わからなくてつらかった。

 

お金がどんどん無くなっていく不安。

私はお金の計算ができるほど頭が良くない。

税金が払えない。

誕プレが返せない。

ごはんの誘いに乗り気になれない。

「どうやって生活してるの?」と聞かないでほしかった。

 

ひたすら悩んで泣いた

頭の中で何度も何度も、無になりたかった。

生きる意味がわからなかった

生きる理由とか、生きる資格とか、何なのかよくわからなくなった。

 

ニートになりたいとか、ニートになるんだとか、言っているのを聞くと心が痛くなった。

私は無職についての自虐や否定をしたくない。

自虐をするということは、自分と同じ状況になった人たちを否定することにつながるから、やめようと思った。

自分にも、何にも、否定的な考えになってしまうのは悲しいからやめたい。

人との関わり

「体調が悪いから」「お金が無いから」

いちいち言い訳をするのはかっこ悪いし、いちいち口に出さなくていい事かもしれない。

不安要素を言い訳に使う時は、その"不安がある自分"をより一層強くしているだけ。自分にとっても、周りからの印象も。

『〇〇な自分』と決めつけてしまうと、そこから抜け出しづらくなる気がしてしまう。

「人を変えるには自分が変わりなさい」とよく聞くけど、自分を変えるのも他人を変えるのと同じくらい難しいことだと思う。

私が小学生の頃は、定期的に髪の毛をばっさり切って、少しイメチェンするとスッキリした気持ちになった。まあ、外面と内面もまた違うのかもしれないけど、なかなか大人になると人と違った行動がしづらくなるなと感じる。

外面でいえば、「本当はこういうファッションがしたい」と心の内で思っていても、浮くかなとか、変だと言われたら立ち直れないかもとか、べつに目立ちたくないとか、そういう壁がある。

メイクもそうだと言える。量産型で画一的なやり方が増えている。自分に似合った色のシャドウやリップを使っていないと、うわっと思われそうで、こわい。

内面に関しては、「なめられないように強気でいたほうがいい」とか「気にしすぎ」とか言われても、頭で理解しても、自身の捉え方の性格の変え方なんて、わからない。変えられないものは変えられない。

あと「男性が好きな女性の性格5選」みたいなのが多すぎる。当てはまらない人はだめな女性、と言ってるわけではないけど、否定しているような気がしてしまう。色んな人がいたほうが面白いのに。性格まで個性を潰してしまったらどういう世の中になってしまうんだろう。

相手によって接し方を変えてしまう。

すごく、気が疲れる。一対一のほうがまだマシだ。大人数の話し合いの場とか、社会的な常識を常に意識してしまう。ここでこういうことを言ったら変だろうなとか、私いまの挨拶変だったかなとか、きもかったなとか。疲れてしょうがない。何も悪くないのに落ち込む。冷静に何も悪いことしてないと分かっているのに、落ち込む。

 

ある意味、"どこの場でも自分を貫けない自分"を受け入れたほうが楽なのかもしれない。

どの自分も、全て私。貫けなくて落ち込む自分も私。気にしすぎる自分も私。

受け入れた上で、沈んだ気持ちの逸らし方があれば、良いのかもしれない。

そうしてなんとか、上手に、日々を過ごしていくしかないのかもしれない。

妖精

一昨日まで会っていた恋人が、陽性になった。

私も昨晩から、なんだか具合が悪い。頭が痛い、怠い、生理前はいつもそうだからだろうな。喉がイガイガする、扇風機直当たりで寝たから冷えたのかな。と、誤魔化していたけど、もしかしたら私も感染しているかもしれない。私が恋人にうつしたかもわからない。

謎に、私は大丈夫、と思い込んでいた。病は気からだし、感染するような行動を取っているわけではないし、今はたまにしか会わない人がいるわけでもない。

少し前からかなり疲れているように見えた恋人から、「なったかもしれない。検査受けてくる」とメッセージがきた。その時は体調は心配だけど、単に疲れだろうな、と他人事のように思っていた。「陽性だった」と聞いてから、いきなり怖くなってきた。

私はよく会う身近な人で、感染した人はいなかったから、本当に他人事のように考えていたのかもしれない。実感が湧かなかった。自分がなるわけがないと思っていた。

 

でも、不安なものに囚われすぎて生活するのは、苦しい。ウイルス?菌?はこの世にたくさんある。自分が出来る範囲で、自分の身を守る手段を取っているしかない。それでもなったら、仕方ないとしか言えない。

 

それは何にでも言える、不安なこと。

今の自分が、後悔なく生きていれば、人生はなるようになっていくんだ、と前向きな私は言っている。

だから、お金がないとか、今の状態からずっと立ち直れなかったらどうしようとか、未来の不安を考えていても、それは未来にならないとわからない。

 

今の私、体調がどんどん悪くなってきて、水を飲んでも飲んでも渇いているような感覚、頭が鈍痛、寝っ転がっているのに感じる怠さ、上がってくる熱、これはただの風邪かもしれない。それは明日にならないとわからない。大人しく今日は寝たほうがいい。文を考える頭も回っていかない、痛い、不安は一旦置いといて、寝よう。

明日の朝、検査をしてきます。

食べること

最近、なに食べればいいかわからない。

仕事を辞めてから、体に害のあるものは食べなくなったけど、最近特に質素な食事をしてた。

自分で作った具沢山味噌汁。具は、野菜ときのこと春雨と豆腐とわかめと…一杯ですごく満足できる。それと卵かけご飯、おかずが欲しい時は鯖缶。みたいな食生活をしてた。

乳製品と小麦を食べなくなったら、本当に食欲が減った。生理前に過食することも本当になくなった。甘いものが欲しくなったら、わらび餅買って、きな粉を追加で足したらお腹いっぱいになって満足できた。

引越しをする関係で、ここ数日自炊が難しくて、買うしかなかったけど何を買えばいいのかわからなくなった。お腹めっちゃ空いてるけど何食べればいいかわからないってずっと思ってた。カップ麺は本当に食べたいと思わない。外食は高いからしたくない。考えてるうちにふらふらして頭が回らなくなってきて、結局こないだは、3割引きのコロッケタルタルパンと3割引きのシュークリームを買った。一気に食べたら気持ち悪くなってびっくりした。

去年までの私は、過食ばかりすることがあった。食べても食べても食べ足りなくて、乳製品と油と砂糖と添加物の入っているものが大好きだったな。

大学3年の秋頃から、筋トレを始めた。筋トレにはまりすぎて、はじめは筋肉をつけて引き締めるつもりだったのに、いつのまにかダイエット思考になっていた。なぜだろう。

実家から大学までは6駅くらい離れていたけど、走りたい衝動がきて、朝の4時半くらいのまだ夜明け前に家を出て、走った。走って疲れて歩いて、、走って

7時前くらいに大学に着いた。そこから、2駅先の銭湯で朝風呂に入りたくて、さらに走った。銭湯で、塩サウナに入り、曇っている視界が、さらにぼやけてきたところで出た。シャワーを浴びるところで立てなくなってしばらく倒れてた。朝だから誰もいなかった。更衣室の鏡で見た自分の顔は青白すぎてびっくりした。あほだなと思ったけど、頭がおかしくて、良い運動ができたとか思っていたかもしれない。

このエピソード以外にも、3時間歩いたりしたことはざらにあった。カロリー消費するには、ばかり考えていた。

食べるものは全てグラム数を計って、炭水化物・脂質・タンパク質を計算してた。

そしたら、30kg代になってたのか、なりかけてたのか、ぐらいになって、やばかった。

生理が半年以上止まってたから、流石に病院に行きなさいと言われて行った。「卵巣が機能してません。一日3食、毎食炭水化物をたべてください。」と先生に言われた。

子どもを産めないかもという恐怖と、その時ごはんを食べることに罪悪感を感じていた私には、許された喜びがあった。

そこから、食事が止まらなかった。食べても食べても食べたい気持ちが収まらない、食べ放題に行ったあと、コンビニで買った生クリームたっぷりの大きなクレープを駐車場で隠れて食べたりした。食べていいし、食べたいのに、人の前でたくさん食べるのが異常に恥ずかしかった。そして、過食すればするほど太っていく自分が醜くて仕方なくて、気持ちが沈んだ。

 

そんな出来事があってから、過食してしまうことはあったけど、食事にとらわれずに生活できるようになったとは思っている。

ストレスって怖いな。

教員をやってる時は、過食が止まらないことが多かった。お菓子とかの。それで虫歯が四つできたし。。

今はお金が減るのが怖くて食べれない。よくない。自分を作っていく材料がなければ、土台が崩れていったら、すべてだめになってしまう。こわいけど、食べないといけない。今もこうしてお腹を減らしながら、書いている、心が少し枯渇しているのを感じる。

 

明日はたくさん食べよう。食事は元気の源。

幸せであること、心を燃やすこと

『周りに感謝すること』が、幸せになる近道なのかなと感じました。

受け取ることができる感受性は、大事だ。

心がやさぐれている時、何に対してもイライラする。嫌なことばかり思い出す。少し都合が悪いことがあれば、「ほら、だから私は不幸なんだ」とか思い出す。

不幸せはただの思い込みの想像かもしれない。

小さなことに感謝できれば、毎日ハッピーかもしれない。自分の経験したことのない環境と比較する必要はないかもしれない。もしこうだったらな〜とか思っても、しょうがない。想像の中の妄想は、実感も湧かない、知りようもない。比較ではなく、自分自身を見つめたい、自分がどうか。自分の周りがどうなのか。

 

たくさん、受け取れるようになると、きらきらしてくる気がする。

ものの見方をひとつ変えるだけで、芸術がありふれているように見える。

これがこんなに面白いんだよ! というのをだれかに知ってほしい。けど強要されたものより、自分で気づいたものの方が輝きは増す。きっと。

正解をパッと知るより、きっかけを知り自分の正解を見つけた方が実感が湧く。心の底から感動できる。

きっかけはごろごろ転がっている。

どうしても受け取れない時や、何にも心が動かない時がある。人間だから仕方ない。仕方ないと言っても辛い。私もそんな時の生き抜き方を模索中だ。

でも、心がわくわくで満たされている時の生きる楽しさや、これをするために生きていく、という気持ちを知ってる。感動したことがあるってだけで、絶望しか知らないわけじゃないから、大丈夫だと思える私もいる。

不安に直結型の脳みそだと、なかなかしんどいけど、しんどさと戦い、吐き出して、形づくって、表現して、生きている。

『生き様こそが表現だ』

岡本太郎は言っている。

体当たりして生きている。何かに落ち込む自分を誇ってもいいかもしれない。

傷つかないために心を無にして生きるのは、感動がなくなることに等しい。心を盛り上げることで、元気であるし落ち込む。喜怒哀楽を殺さない。

目の前のことに、自分なりのベストを尽くす。頑張れない時は休む。休むことをプラスに考える。心がわくわくしてきたら、それに打ち込んでみる。人生はその繰り返しかもしれない、私を生きていく。