天天

1999生まれ. アーティスト. 和太鼓奏者.

無職のつらさ

働いてないのいいな〜

ってみんな言う。

みんな、無職が楽だと思っている。

周りのみんながそうだと思い込んでしまう。

退職手当でもらえる分を、稼げると思わなかった。そもそも、働けなかった。

教員を辞めてから、心と体の不安定な波が、どんどん生まれるばかりだった。

胃腸の調子が悪くて救急車を呼んでもらったり、つらくて寝れなくて、それでもお腹は減って、泣きながらじゃがいもの皮をむいたり、私は躁鬱なんだろうなと自覚して、鬱のきっかけだけははっきりしていることとかに気づいたりした。

私は働けない正当な理由が欲しかったのだろうか。とも思う

でも本当につらくて、生きるか死ぬかのようなギリギリの日々を過ごすことでいっぱいだった。

しにたかったけど、しぬために行動するモチベーションすら無かった、それも辛かった

 

仕事をしている時は、仕事を辞めて時間が増えたらどんなに幸せだろうと思っていた。

その夢が叶った今ですら、つらくて、消えたくて無になりたくなる

人が求める「憩い」はどこにあるのだろうか

生きていれば死はあるのに、どうしていなくなりたいと思うのか。

働いていても、無職でも、辛さは同じだった。

何もしてない人はいないかもしれない

毎日寝ているだけの生活が、どれほど辛いかは働いていない人にしか実感できない

 

「次の仕事決まった?」「バイトはしてるの?」「ちゃんとしなよね」「早く働いて遊ぼー」

うるさかった

私は自分のためだけに生きることなんて、できるわけがないと思った

 

仕事を辞めてから、新たな夢ができたけど、

やりたいことを貫くのには、周りからの言葉に耐えられる精神が必要なんだ。

認めてほしい、受け入れてほしい、聞き入れてほしい

そういう感情があるからめんどくさい

よくわからない

自分がどうしたいのかわからなかった。

何が逃げで、何が甘えで、何が正解か

わからなくてつらかった。

 

お金がどんどん無くなっていく不安。

私はお金の計算ができるほど頭が良くない。

税金が払えない。

誕プレが返せない。

ごはんの誘いに乗り気になれない。

「どうやって生活してるの?」と聞かないでほしかった。

 

ひたすら悩んで泣いた

頭の中で何度も何度も、無になりたかった。

生きる意味がわからなかった

生きる理由とか、生きる資格とか、何なのかよくわからなくなった。

 

ニートになりたいとか、ニートになるんだとか、言っているのを聞くと心が痛くなった。

私は無職についての自虐や否定をしたくない。

自虐をするということは、自分と同じ状況になった人たちを否定することにつながるから、やめようと思った。

自分にも、何にも、否定的な考えになってしまうのは悲しいからやめたい。