天天

1999生まれ. アーティスト. 和太鼓奏者.

人との関わり

「体調が悪いから」「お金が無いから」

いちいち言い訳をするのはかっこ悪いし、いちいち口に出さなくていい事かもしれない。

不安要素を言い訳に使う時は、その"不安がある自分"をより一層強くしているだけ。自分にとっても、周りからの印象も。

『〇〇な自分』と決めつけてしまうと、そこから抜け出しづらくなる気がしてしまう。

「人を変えるには自分が変わりなさい」とよく聞くけど、自分を変えるのも他人を変えるのと同じくらい難しいことだと思う。

私が小学生の頃は、定期的に髪の毛をばっさり切って、少しイメチェンするとスッキリした気持ちになった。まあ、外面と内面もまた違うのかもしれないけど、なかなか大人になると人と違った行動がしづらくなるなと感じる。

外面でいえば、「本当はこういうファッションがしたい」と心の内で思っていても、浮くかなとか、変だと言われたら立ち直れないかもとか、べつに目立ちたくないとか、そういう壁がある。

メイクもそうだと言える。量産型で画一的なやり方が増えている。自分に似合った色のシャドウやリップを使っていないと、うわっと思われそうで、こわい。

内面に関しては、「なめられないように強気でいたほうがいい」とか「気にしすぎ」とか言われても、頭で理解しても、自身の捉え方の性格の変え方なんて、わからない。変えられないものは変えられない。

あと「男性が好きな女性の性格5選」みたいなのが多すぎる。当てはまらない人はだめな女性、と言ってるわけではないけど、否定しているような気がしてしまう。色んな人がいたほうが面白いのに。性格まで個性を潰してしまったらどういう世の中になってしまうんだろう。

相手によって接し方を変えてしまう。

すごく、気が疲れる。一対一のほうがまだマシだ。大人数の話し合いの場とか、社会的な常識を常に意識してしまう。ここでこういうことを言ったら変だろうなとか、私いまの挨拶変だったかなとか、きもかったなとか。疲れてしょうがない。何も悪くないのに落ち込む。冷静に何も悪いことしてないと分かっているのに、落ち込む。

 

ある意味、"どこの場でも自分を貫けない自分"を受け入れたほうが楽なのかもしれない。

どの自分も、全て私。貫けなくて落ち込む自分も私。気にしすぎる自分も私。

受け入れた上で、沈んだ気持ちの逸らし方があれば、良いのかもしれない。

そうしてなんとか、上手に、日々を過ごしていくしかないのかもしれない。