幸せであること、心を燃やすこと
『周りに感謝すること』が、幸せになる近道なのかなと感じました。
受け取ることができる感受性は、大事だ。
心がやさぐれている時、何に対してもイライラする。嫌なことばかり思い出す。少し都合が悪いことがあれば、「ほら、だから私は不幸なんだ」とか思い出す。
不幸せはただの思い込みの想像かもしれない。
小さなことに感謝できれば、毎日ハッピーかもしれない。自分の経験したことのない環境と比較する必要はないかもしれない。もしこうだったらな〜とか思っても、しょうがない。想像の中の妄想は、実感も湧かない、知りようもない。比較ではなく、自分自身を見つめたい、自分がどうか。自分の周りがどうなのか。
たくさん、受け取れるようになると、きらきらしてくる気がする。
ものの見方をひとつ変えるだけで、芸術がありふれているように見える。
これがこんなに面白いんだよ! というのをだれかに知ってほしい。けど強要されたものより、自分で気づいたものの方が輝きは増す。きっと。
正解をパッと知るより、きっかけを知り自分の正解を見つけた方が実感が湧く。心の底から感動できる。
きっかけはごろごろ転がっている。
どうしても受け取れない時や、何にも心が動かない時がある。人間だから仕方ない。仕方ないと言っても辛い。私もそんな時の生き抜き方を模索中だ。
でも、心がわくわくで満たされている時の生きる楽しさや、これをするために生きていく、という気持ちを知ってる。感動したことがあるってだけで、絶望しか知らないわけじゃないから、大丈夫だと思える私もいる。
不安に直結型の脳みそだと、なかなかしんどいけど、しんどさと戦い、吐き出して、形づくって、表現して、生きている。
『生き様こそが表現だ』
と岡本太郎は言っている。
体当たりして生きている。何かに落ち込む自分を誇ってもいいかもしれない。
傷つかないために心を無にして生きるのは、感動がなくなることに等しい。心を盛り上げることで、元気であるし落ち込む。喜怒哀楽を殺さない。
目の前のことに、自分なりのベストを尽くす。頑張れない時は休む。休むことをプラスに考える。心がわくわくしてきたら、それに打ち込んでみる。人生はその繰り返しかもしれない、私を生きていく。