天天

1999生まれ. アーティスト. 和太鼓奏者.

私の人生の中での良い悪役

3月中旬くらいから、4月の頭くらいまで胃腸炎のような症状がずっと続いていた。自分の体調のコントロールのできなさが悔しくて仕方なかった。もう元気になったと思う瞬間もたくさんあったけど、それでも心と体の不安定な波は定期的にやってきた。

一度、一緒にいた友人に救急車を呼んでもらったほど、体調を崩していた。しかし、病院に行っても異常が見つからず、もらった薬も全く効かなかった。

結局、ストレスが原因の過敏性腸症候群だったみたいです。

耳が痛くて耳鼻科に行ったときも、「凝りからきているので次に行くとしたら整体です」と言われた。

私は自律神経が狂っていました。自律神経の乱れからくる体調不良は、検査をしても原因がわからないことが多いみたいですね。

本当に、本気で死ぬかもと思って怖かった。この時の私は必死に生きてました。

 

4月の終わりに、私の次に着任した美術の先生に呼ばれ、学校で話すことになりました。本当は行くのが怖かったけど、断る理由もなく、行きました。

そこで管理職と話しました。校長に、「今は何をしてるの?」と聞かれ、「ずっと体調を崩していたので何もできていません。」とそのまま答えました。

「いや、大丈夫でしょ~~。早く仕事見つけて働いた方がいいよ。」と笑われました。

何を根拠に大丈夫と言ったのでしょうか。

 

帰りの電車、もやもやして、馬鹿にしてきたような発言に腹が立ちすぎて、泣きながら帰りました。

人の気持ちを考えられないような人が、学校のトップであるということが許せませんでした。

 

その4日後、離任式がありました。私は生徒に会いたかったので出席しました。

もうこれで最後だ、と思って。

 離任式2日前くらいに、副校長から電話があり、「生徒に休んでいた時の話をしてほしい。家に帰って保護者に説明できるような形で」と言われました。遠まわしに謝れと言われた感じでした。

離任式の日、校長が「副校長先生から言われたと思うけど、謝ってほしいんだよね。」と言ってきました。私自身、生徒に申し訳ない気持ちはもちろんあるので謝りたいと元々思っていましたが、謝ることを強要してくるのは違うんじゃないかなと思ってしまいました。

 

式は校長が離任する先生方を紹介して、その先生が前で話すという流れでした。

私の番になり、「去年は1、2年生に迷惑をかけました」と紹介されました。それは事実かもしれないけど、全校生徒の前で言うことではないと思います。

 

私は全校生徒の前で、休んでいる間は私の人生の中で一番苦しい時間であったこと・みんなとの美術の時間が、教師が素敵な職業であることを再認識できた時間であったこと・若いから大丈夫、とか周りの意見に飲まれずに、自分の心と体に耳を傾けられる大人になってほしいということ・楽しいこと、自分のわくわくを大事にしてほしいこと・みんなの先生になれて幸せだったこと、などを伝えました。

泣きながら話したら、一緒に泣いてくれる生徒がちらほらいました。自分の言葉で伝えることができて本当に嬉しかったです。

「先生の言葉を聞いて感動しました」「泣いてしまいました」とたくさん声をかけてくれる生徒がいて、本当に本当に、最後に生徒に会えてよかったです。

 

職員室では何度も校長がみんなの前で「早く仕事見つけてね」と言ってきてしんどかったです。

 

社会人になり、こんなに良い経験ができて、たくさんのことに気づけて良かったなと思いました。教員社会しか知らないけれど、良いところ悪いところをみっちりと見れて、濃い1年間だったなと今では思います。

経験は何にも代えられない財産であると実感しました。

 

離任式が終わったことでようやく色んなしがらみから解放された気持ちでした。