天天

1999生まれ. アーティスト. 和太鼓奏者.

働くために生きていた

秋ごろから、悪かった体調がさらに悪化していった。

特に職員室にいる時に、頭痛と耳鳴りと耳の痛みがひどかった。キーン、ガンガンって痛み。首と肩の凝りがやばかったのもある。

気持ちの変化もつらかった。何に対してかわからないけど悲しくなったり、イライラが止まらなくなったり。

毎週毎週が、一瞬で過ぎていく。なんとか気持ちを奮い立たせて過ごしていた。

生徒の前ではいつも通りに振舞っているつもりだったけど、「先生体調大丈夫?」「先生一年目なのに色々任されすぎじゃない?」と心配されてしまった。

 

こんなんじゃだめだ。保護者にも一年目は関係無いと言われたし、他の先生と同じくらい頑張らなきゃいけない。

と思っていたけど、ストレスチェックをしたときに、結果に『うつの傾向があります』と出ていたのがきっかけで、教育委員会の紹介で病院に行くことになった。

そこの病院の先生には、「まだ頑張れるでしょ?」と言われて悲しくなった。

でも、後日教育委員会からの通知で「月の残業時間を20時間に抑えなさい」という通知がきた。(そんなん部活やってたら20時間過ぎるやん、と思いました。)

それからは無理やり早く帰ったり、私に全任せだった先生に逆に任せたり、締め切りにどうしても間に合わないときはごめんなさいして、なんとか過ごしました。

 

冬のある日、午前中の授業から、なんだか体調が悪くて、立っているのもしんどかった時がありました。4時間目の授業を終え、職員室の自分の席に戻ってから動けなくなりました。(早く給食指導へ行かなきゃ...)と思ってはいるのに、動けない。自分の書類まみれの机を見て、悲しくなりました。5時間目も授業はあるけど、もうだめだ、今日はもう何もできない、と思って、管理職の先生のところへ行きました。「あの...」と言って、その先の言葉が出てこない。「あ、もうだめ?帰る?」とその時は察してくれました。そのあと職員室で大泣きしました。ちょうど職員室に入ってきた私の指導教員は、私が悩んでいることなど知らなかったので驚いていました。

 

その日はそのまま帰らせてもらいました。

私はなんのために働いているんだろう、教師の本質はこうじゃない、、と思いながら、泣きながら帰った。

 

12月は、ほぼ毎週1時間遅れて行く日がありました。朝、いつもの時間に目が覚めるのに、体を起こせないのです。

それと微熱が出ることも増えました。限界すぎました。

 

そんな感じで何とか12月を乗り越え、やり切ったー!来年に備えて年末年始しっかり休んで過ごすぞ!!と思っていたのに、そのあと出勤することはありませんでした。