天天

1999生まれ. アーティスト. 和太鼓奏者.

自由で私なりの教室をつくりたい

学校教育の中の美術で、一番もやもやしたのが『評価』です。

去年、1学期の終わり、はじめて成績をつけた時。どうしよう、となった。

中学校では昨年度より、評価の観点が四観点から三観点へと変わった。それだけでも、まずよくわかっていない人が多い状況であった。1年目の私にとっては、正直さっぱりだった。

そもそも私は思考が、教員ではなくアーティストだったなと思う。美大卒業したての私にとって、人の作品を評価することにとても抵抗があった。良い・悪いにどうしても分類したくなかった。でも成績はつけないといけない。

生徒に限らず、大人でも、誰でも、成績=作品の評価だと捉える人が多い。それが苦しかった。「私、美術の成績2だったので本当センス皆無なんですよ~」とか、自慢げに話す人を見ると、残念な気持ちになってしまう。

作品において、技術はもちろん大事だ。でも、私は技術がなくても表現することで素晴らしい作品をつくることは十分に可能だと言いたいのです。

学校の美術の成績など、作品のほんの一部しか見ていない。1年しか先生をやっていなかった私にとって、成績をつけるのが上手くなかったのもあるのかもわからないけど。。(初任を言い訳にしたいわけではないです。)

私は授業中、生徒に何度も説明しました。

「実技教科だから、もちろん技術面での評価もあります。良い成績が取りたかったら、私が授業中に話している制作のポイントをおさえれば、ある程度取れます。逆を言えば、作品の評価はその一部しか見ていません。成績が作品の魅力に直結することでは全くありません。」と。

成績をつけ終わってからは、本当に自由に完成させていいよ、と言いました。

笑顔で楽しそうに制作している生徒の顔がキラキラしていました。

私は自分の授業が、邪道なんだという自覚があった。でも、どうしても”普通の” ”当たり前の” ”ありきたりな”美術の時間にしたくなかった。

私の研究授業を観に来ていた担当アドバイザーの先生は、「自由性があって楽しそうな授業ですね! 今まで観てきた色んな美術の授業の中でも、先生の授業はかなり他にないやり方を取り入れていると思いました。でも評価が難しそうでもありますね。」と、褒めてくださったけど痛いところを突かれた。

研究授業は去年4回やったけど、研究授業はたくさんの先生方が観に来るし、指導案も作成しないといけなかったから、すごく慎重だった。でも、ある時から、誰にみられても、いつも通りの授業をしようと決めた。生徒にフランクに話しかけるスタイルで。そしたら、自分もそんなに緊張せずにいつものペースでできたし、何より生徒がいつも通りでいてくれた。やっぱり、気持ちは伝わるんだなと思いました。緊張はうつる。

私の邪道な授業を評価してくださる先生方は他にもいて、私なりの授業をしていこうと思えました。まあ教員を続ける以前に、色々あったわけですが..

 

今は自分なりの絵画教室を開きたいと思うようになりました。

学校とも、予備校とも、違うところ。いろんな人の居場所になれるようなアトリエにしたいです。私もそこで一緒に絵を描きます。私は、自由につくるための手助けができる先生でありたいです。