心の寄り添い方は難しい
今は、病気休暇の期間は自分を見つめなおすための時間だったように思える。
良くも悪くも、自分は思考回路が少し変なところがあることを知れた。
考えすぎる。悩まなくていいところをずっとぐるぐる考えてしまう。気にしなくていいことをずっと気にしてしまう。人と話すのが好きなのに、一人になるとすごく疲れる。
以前、学校で心のアンケートのようなものを実施した時に、死にたいと書いていた生徒がいた。その子が相談したい先生はいますか?の欄に私の名前を書いてくれていたことで、私はその子と話すことになった。
1時間くらい話した。その子はあまり自分から話すタイプではなかったので、私の方から色々質問をしたり、私自身の話をしたり、とにかくまずはリラックスして話せる空気にしようと心がけた。
その子は学校も塾も家でも、辛いみたいだった。自分が安らげる居場所の作り方は、難しい。けど、せめて私は話せる相手の一人になりたいと思った。
中学3年生、受験生の秋ごろだった。「受験がんばりましょう」「受験のために塾に行きましょう」「体調悪くないのに休むなんて許さない」「今がんばらなくてどうするの」とか、たくさんプレッシャーをかけられる時期だ。学校とか、社会は、目先のことしか言わないのだ。そんなとき心の問題に向きあってくれる人が近くにいないのは、辛すぎる。まだ中学生の、14歳の子に、死にたいと言わせる環境なんて、本当にだめだ。
特に中学生までは、バイトをできるわけでもなく、保護者の元にいるわけだから、やはり自由は少ない。何をするにも保護者の許可が無いと動けない環境。悩みを打ち明けられる人間関係が無い場合、自分で抱え込んでしまう子に対して、学校はどうサポートができるだろうか。社会とか世間体とか常識とか、そういうことを全て忘れて話をしないといけない。目に見えたいじめのような犯罪行為だけでなく、心の問題も、社会問題の一つなのではないか。
私は、ただ寄り添って聞いて、具体的な現状打破するやり方などは言えたわけではないけど、その子は泣いていて、少しすっきりしたみたいではあった。すこし力になれたかな。
自分と人の考え方や価値観は、もちろん違う。本当の本当に寄り添えなくても、寄り添う姿勢があるだけで、支えられている気持ちになれるのではないでしょうか。
もちろん、それさえもうんざりしたり、突っぱねてしまう気持ちの時ももちろんありますが。人間って複雑すぎるな。
難しいけど、そうやって色々知って、理解できることを増やして、成長していきたい。
あの子が今、生きててよかったと思える日々を過ごせていますように。