天天

1999生まれ. アーティスト. 和太鼓奏者.

辛いときに辛いと言いたい

一月の終わり、一か月の病気休暇がもうすぐ終わる。

 

とにかく、早く復帰して、休んでいた分頑張らないとと思っていた。

自分は大丈夫だと思っていた。一か月も休む時間をもらったのだから、大丈夫でしょと。

今思えば、管理職の電話に怯えながら過ごし(定期的に電話かかってきた)、この時間も私の分を含めて先生方は頑張っているから休んではいけないと思っていたので、少しも休めてはいなかったと思う。罪悪感と焦燥感と絶望とで働いてる時よりつらかった。

 

次の心療内科の受診で、今後のことを考えましょう。と言われていたので、ある日の受診で、「二月から復帰したいです! 私はもう大丈夫です。」と先生に伝えた。

「無理だと思います。」

私の症状の様子などから、そう判断された。そして結局、3月いっぱい(今年度)はお休みしましょう、ということになった。

 

私は怖くて仕方なかった。どう思われるのか、ばかり気にしていたな。職場の方々に、世間に、家族に、友達に。

本当に悔しかった。何を変えればこうならなかったのか、私はなんて無能なんだ、みんな頑張っているのに、今の私は頑張ろうにも頑張る気力も体力もない、ひたすらに悲しかった。生きている意味なんだろう。私、社会人ができなかったら、どうやって生きていったら良いんだろう。

悔しくて、悲しくて、一日中そんなことをだらだらと考えながら、何もできなくて、ずっと布団の上でパジャマでぼーっとしながら、同じことをずっと考えて、泣きながら、日が暮れていく。

また夜になってしまった。また何も生産的なことができずに一日が終わった。

こんなにどん底な気分になったことなんてなかった。私は今までも、引きずりやすく気分に波があるタイプではあったが、根性で何とかなってた。負けん気が強くて、がんばるがんばる!!!と思っていれば、本当に頑張れたし、這い上がれたし、折れずに済んできた。だから信じていた。私がこのまま頑張っていれば、いつか慣れて、後輩もできて、ベテラン先生になっていけると。

どーうにもならないことがあるんだと知った。社会人一年目の自分の非力さが悲しかった。

 

映画は今年に入ってから、60本以上は見たと思う。

時間はあるけど、気力と体力がない、スマホを見ることしかできない、そんな時に少しでも自分の思考回路を休ませてくれたのが映画だった。

動けない自分を色んなところへ連れていってくれる。色んな人の人生の一部を見せてくれるものだ。

観ていると、私はこれから自分の意志でどうにでもなれると思える瞬間もたくさんあった。

 

今思えば、現実は自分がつくるものなんだ。自分の意識が未来をつくっていくものなんだとわかる。

難しいな。底の底にいるような感覚のとき、それは別に底でもなんでもないのに、上に上がれなくてどんどん息苦しくなって、視野がどんどん狭くなっていく。

広く考える余裕なんてないし、そもそも見えてないのです。

人に、こうしなよと言われることが辛かった。でもそれは事実であるし、悪気があって言うことはそう無いとは思う。

私は素直になれなかった。周りにも、自分自身にも。すべてに対してひねくれていた。

素直になれないことの難しさ。辛いときに辛いと言える人は強いのかもしれない。