天天

1999生まれ. アーティスト. 和太鼓奏者.

もうひと踏ん張り

引っ越すことにした。

お金がないのに家賃が高い、のが理由ではあるけど、今だ!と思ってすぐに退去届を出した。次の家も決まっていなかったのに。

そのあと内見して、次の家を決めました。今住んでいる部屋の半分以下の家賃。大きな大きなバルコニーがあって、見た瞬間に気に入りました。

次の部屋はアトリエをメインにした部屋にしよう! と決めました。

人を呼んで、絵を描けるアトリエにしたいです。

わくわくする気持ちよりも、引っ越しの準備で疲れた気持ちの方が今は勝っています…

今年の上半期を振り返り、今が体調万全というわけではないけど、引っ越すタイミングは今だったな、と思いました。

それでも、こんなにぐったりしてしまうけど。

いろんな手続きや契約などをしていて、友達に助けてもらったりして、私だめだめじゃんと思ってしまって、精神的にも少し疲れました。

ほんとにすぐに傷つく性格が憎いです。

ホルモンバランスが乱れている時期だからというのもあります。

大したことないことでいらいらしたり、悲しくなったり、思い出して神経質になったり、めんどくさいなあと思います。

貯金が無いことで精神が不安定になっているのもわかります。「バイトすれば?」と言われる度に腹が立ちます。無職をばかにされると腹が立ちます。明確な肩書きがないだけで暇人扱いされることに腹が立ちます。

『なんのために生きてるんだろうな』

と心の中で思ってしまう。

苦しくてもがいている、なりたい自分になるために妥協したくない気持ちが勝つ。内面の闘いは、他人にはわからない。苦しい、悲しい、寂しい、でも挫けたくない

「何がしたいかわからない」と言われても、流れに身を任せて、柔軟に生きていけるようになれたらな。

神経質に言われた言葉に腹を立てたり、泣いたりするのは疲れる。難しい、人間

お腹が空くけど何を食べればいいのかわからない。食べたいものがわからない。

こんなに心も体も沈む生理前に、自分をちゃんと慰ることは大事だな。

照明を取り外した真っ暗な部屋で、文を打つ、毎日書こうと決めたから、書いている。

引越しは明日だけど、荷造りが完全に終わっていない、掃除もしないといけない。

もうひと踏ん張り。

お金がない、もやもやいらいらする、不安、の思い込みを捨てたい。

現実から上手く目をそらせるようになりたい。心を上手く休められるようになりたい。

ひと山越えればきっと楽しくなる。私は大丈夫だと思う。

自由で私なりの教室をつくりたい

学校教育の中の美術で、一番もやもやしたのが『評価』です。

去年、1学期の終わり、はじめて成績をつけた時。どうしよう、となった。

中学校では昨年度より、評価の観点が四観点から三観点へと変わった。それだけでも、まずよくわかっていない人が多い状況であった。1年目の私にとっては、正直さっぱりだった。

そもそも私は思考が、教員ではなくアーティストだったなと思う。美大卒業したての私にとって、人の作品を評価することにとても抵抗があった。良い・悪いにどうしても分類したくなかった。でも成績はつけないといけない。

生徒に限らず、大人でも、誰でも、成績=作品の評価だと捉える人が多い。それが苦しかった。「私、美術の成績2だったので本当センス皆無なんですよ~」とか、自慢げに話す人を見ると、残念な気持ちになってしまう。

作品において、技術はもちろん大事だ。でも、私は技術がなくても表現することで素晴らしい作品をつくることは十分に可能だと言いたいのです。

学校の美術の成績など、作品のほんの一部しか見ていない。1年しか先生をやっていなかった私にとって、成績をつけるのが上手くなかったのもあるのかもわからないけど。。(初任を言い訳にしたいわけではないです。)

私は授業中、生徒に何度も説明しました。

「実技教科だから、もちろん技術面での評価もあります。良い成績が取りたかったら、私が授業中に話している制作のポイントをおさえれば、ある程度取れます。逆を言えば、作品の評価はその一部しか見ていません。成績が作品の魅力に直結することでは全くありません。」と。

成績をつけ終わってからは、本当に自由に完成させていいよ、と言いました。

笑顔で楽しそうに制作している生徒の顔がキラキラしていました。

私は自分の授業が、邪道なんだという自覚があった。でも、どうしても”普通の” ”当たり前の” ”ありきたりな”美術の時間にしたくなかった。

私の研究授業を観に来ていた担当アドバイザーの先生は、「自由性があって楽しそうな授業ですね! 今まで観てきた色んな美術の授業の中でも、先生の授業はかなり他にないやり方を取り入れていると思いました。でも評価が難しそうでもありますね。」と、褒めてくださったけど痛いところを突かれた。

研究授業は去年4回やったけど、研究授業はたくさんの先生方が観に来るし、指導案も作成しないといけなかったから、すごく慎重だった。でも、ある時から、誰にみられても、いつも通りの授業をしようと決めた。生徒にフランクに話しかけるスタイルで。そしたら、自分もそんなに緊張せずにいつものペースでできたし、何より生徒がいつも通りでいてくれた。やっぱり、気持ちは伝わるんだなと思いました。緊張はうつる。

私の邪道な授業を評価してくださる先生方は他にもいて、私なりの授業をしていこうと思えました。まあ教員を続ける以前に、色々あったわけですが..

 

今は自分なりの絵画教室を開きたいと思うようになりました。

学校とも、予備校とも、違うところ。いろんな人の居場所になれるようなアトリエにしたいです。私もそこで一緒に絵を描きます。私は、自由につくるための手助けができる先生でありたいです。

甘えていいんだよ

甘えること、頼ることがもっと上手くなりたい。

 

「じりつ」と検索してみた。

「自律」... 他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。

「自立」... 他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと。

と出てきた。

私はこの意味をはき違えていたのかもしれない。

今までは人に頼ることがだめなことだと思っていた。じりつしないと、とばっかり考えていた。

でも、それが行き過ぎて変な「意地」になっていた。

自分の嫌なプライドの壁が高くなり、人に対しても同じレベルでみてしまうようになる。そうして堅い人間になっていく。

そうなるのは嫌だと思った。人に対して、上下関係があるようなフィルターで見たくない。肩書きとかではなくて、もっとその人の本質を見れる自分でありたいと思った。

そうなるためには、自分を許さないと無理なんだと思いました。自分も、この社会の、世界の一人であるから、自分自身を大事にできないと、他の人も大事にできない。

自分を大事にしないと傷つく人がいることを、少し前まで本気で分かっていなかった。

私は、自分をたくさん否定してしまうことがある。他人の愛がたくさんほしい時もある。逆に、私が私を楽しませる気持ちで、楽しく笑っていたら、それでもいいんだ、って思ってくれる人がいるかもしれない、とも思う。

「この世に、必要ない人なんていない」という言葉は、捻くれ思考の時は、自分みたいな人間もいるのに?とか思っていらいらしたり、していたけど、自分を否定することは、自分を愛してくれている人からの愛を、否定することと同じ意味なのかもしれないと気づいた。

自分に対しての心ない言葉は、心の中で思っていてもつらいし、それを周りに言っても周りも自分もつらい。そういうときに、素直に愛がほしいと言えたらいいのに。

嫌な壁を全て捨てて、自分から気持ちをはっきり言えたらいいのに。

人間の脳みそってなんでこんなに複雑でめんどくさいのだろうか。

人からの素直な言葉に対して、本当はこう思ってるんじゃないか..と疑いだす時もある。あーめんどくさい。

複雑だからめんどくさいし、だからおもしろいんだろうな。

人との関わりを深めるには、やっぱりたくさん話すことが大事なんだろうな。

恋愛でも、そうでない関係でも、話して、相手の価値観を知って、相手の受け取り方も知って、深まっていくんだろな。

相手が何考えてるかわからないのは、当然なんだろうな。

 

私は、親とか恋人とかに対して、過去の嫌だったこととか、勝手な思い込みが加速したりして、壁をつくっていたかもしれないと思いました。壁をなくすために、もっと素直に、「助けてほしい」とか「寂しい」とか言えるようになりたいです。

無理するくらいは頑張れないけど、今の私なりの頑張り方で、自分も人も大事にしていきたい。

「大丈夫だよ」と自分にも誰にでも、言えるようになりたい。

人間は波でできている

人の気持ちは波がある。私はずっと揺れている。この波にずっと悩まされている。

沈んでいる時に頑張ろうとしても、それは無理をするだけです。"休むことが悪"みたいな風潮はなくなってほしい。

「苦労した努力が美徳」みたいな世の中。努力できる人は素晴らしいです。それは一つの才能だなと思う。でも、だから努力していない人がさぼっているわけではなくて、今は休むことが必要な人もいるのです。

 

と、人に対してはなんとでも言える。

自分の中にいる"自分を責める自分"は、「そうやって言うことで自分のことを正当化しようとしているだけなんじゃないの」「さぼってるだけなんじゃないの」「結局、本当は頑張れるのが偉い、頑張れないのは怠惰だって思ってるんじゃないの」と言ってくる。

うるさいうるさいうるさい

鬱の波が押し寄せてきたとき、うるさい。体を動かさなくても、考えているから疲れる、頭の中で矛盾のサイクルをずっと繰り返している、辛いことを反芻している。疲れた。

いつからか、自虐ネタで周りの人を笑わせるようになった。

「私なんてもう何か月も無職だよあはは、」というと、一緒になって笑ってくれる。時たまそのノリで言われた言葉に傷つく。自業自得です。しかも無職の自虐ネタは、無職の人を差別しているし。自分で自分のことを差別している。前向きに思うと、無職だからこそできる時間の使い方はしている。絵を描いたり、太鼓を叩いたり、作曲したりしている。

お金とか利益とか、目に見えるものだけが価値だと思うのはやめようと思ったのに。ふとした時に"社会的な常識の自分"が出てくるのが嫌いだ。

私は人前では明るい。辛いことを話しても、「そうは見えないよね」と結構言われる。今は、明るいときも暗いときも、すべて自分の顔だから、受け入れて大丈夫だと思えてはいる。

友達といると、楽しいし、嫌なことから目を逸らせる、でもすごく疲れる。一人になった途端、どっと疲れる。楽しかったのは本音だし、過ごせた時間に後悔は一つもないけど、疲れてしまう。そして一人反省会が始まる。あの時のあの言い方は、良くなかったな、とか。

ここ2年間くらいで、自分の生きづらい性格を自覚した。

社会に向いてないな~と思う。たまに、苦しくて爆発しそうになる。

母や恋人と電話して、傷つけるようなことを言ってしまう。電話の後に泣いて反省する。

苦しい。

私は今後生きていけるのだろうか、と絶望する。お金が無い、無くなったら、どうしよう。そんなんで生きる意味とは、、と極端すぎる思考回路になっていく。そうなったとき、純粋になにかを楽しむことができなくなる。

「この先ずっと不安が続くことはないよ」と言われた。

視野が狭くなり、苦しいことしか考えられなくなったときに、自分の落ち着かせ方を身につけておきたい。

今は、生きやすくなる土台をつくっているときだから、苦しいこともあるけど、安心して悩んでいたい。

芸術を楽しむこと

芸術は、今の私たちに必要なものです。

美大生の時は作品の提出をしないと成績はつかなかったし、講評があるから作らないことはなかった。

社会人になってからは、美術教師として授業でやる作品をつくることはあった。

今年に入り、出勤できなくなり、暇ではないけど時間はたくさんあった。だけど、私の心に作品をつくる余裕はありませんでした。私の生きがいってなんだろう。今生きてて辛い、何も楽しくない、死んでしまった方がいいのだろうか。と考えていた。あの時の私は生きることで精一杯だった。

 

ある時、昔のことを人に話していた。

「私の通っていた美術系の高校の推薦受験の課題が、自画像デッサンだったんです。中三の時に美術の先生に初めて自画像デッサンを教えてもらいまいた。それから、自分の顔を描く機会が増えました。高校の時に通った予備校の自画像コンクールで、1位を取れた時はうれしかったんです!笑」

『自画像描いてみたら?』

 

私は、久しぶりに自画像を鉛筆で描きたくなって、描いてみた。

気づいたら2時間くらい経っていて、描いた顔は自分でも気に入った表情をしていた。

自分のための絵を描いたのはいつぶりだろうか。と思った。

私は何をするにも、周りの人の目が気になってしまう性格で、美大の時の作品も、講評で人に見られる意識で作っていた。

何にも囚われず、ただ純粋に描きたい気持ちだけで描けたのは本当に久しぶりだった。

嬉しかった。

 

それから、「絵を教えてください」と言ってくださる人ができた。

自画像教室を開くことになったのだ。

それが、私が作品をつくる原動力につながった。

自画像教室では、マンツーマンのレッスンをした。これで良いのかな、と緊張しつつ、私なりのレッスンをした。

はじめに受けてくださった方は、50代の女性で、今まで絵を描いたことがあまりない方だった。

生徒さんが緊張しないように、私も一緒に隣で描いた。時折、アドバイスをしつつ、描いている感覚を味わってもらった。

描き上げた時、生徒さんは泣いていた。「私でも描けるんだ」と感激してくださった。

レッスン後、「言葉にはできない心の奥深くに響くレッスンだったのだと思います。」とメールをくださいました。

 

学校じゃなくても、先生であり続けられるんだと思いました。この時から私は、自分の教室がつくりたいと思い始めました。

 

絵を描くのはとてもエネルギーがいります。でも、作品をつくったときに得られる感覚は、つくった人にしか味わうことができません。

「美術の成績低かったから」とか「絵下手だから」とか「センスが無いから」とか、、そんなことは関係ないのです。

上手い下手ではなく、ただ純粋に楽しむことが、芸術の根本的なところではないでしょうか。私はそう思っています。

美術を、芸術を軽視する人が少なくなれば、もっともっと豊かな、平和な世界になると思います。

生徒と愛

離任式の時に生徒にもらったメッセージカードには、こんなことが書いてありました。

 

「先生と休み時間にした女子トークは忘れません。話しやすくて楽しかったです。」

「美術を教えてくれてありがとう。面白くていつも楽しく受けることができました。」

「先生が時々私の作品を褒めてくれて嬉しかったです。」

「男子の作品に『私は好き』と言って独創性を評価していたのも印象的です。」

「先生の授業は美術大学にいるみたいで楽しかったです。」

「僕は先生の授業が好きでした。」

「私が一番心に残ったのは授業での作品に『私はこの絵好き』と言ってくれたことでした。今までの美術と図工の先生にそのようなことを言われたことがなかったので嬉しかったのを覚えています。」

「先生の授業で印象に残っているのは、先生がいつも明るく、先生自身が一番授業を楽しんでいるように見えたことです。先生が楽しそうにみんなに教えているのを見ると、自分もやる気が出ました。」

「先生が授業中に言った、『本当に自由にやっていいんだよ』という言葉がとても印象に残りました。」

「全て自分の好きなままに自由に作品をつくらせてくれて、前よりも美術が好きになれました。」

「僕が先生の授業を受けて分かったことは、絵が下手でも大丈夫ということです。僕は絵が下手ですが、自分の個性を出して絵を描いている人がいることが分かりました。」

「一番生徒のことを思ってくれていました。」

「先生の美術の授業は大好きでした。今までにはない新しい方法での授業は、とてもわくわくするものでした。本当に最高の先生でした。」

「本当に正直なことを言うと、先生のする授業は2番目に毎週楽しみにしていました。本当に楽しくて美術のことが好きになりました。」

「ここまで絵を描き続けられたのは先生のおかげです。先生がいなくなってしまうのはすごく悲しいです。でも、先生が教えてくれたことに答えるために私は絵を描き続けます。私の絵を認めてくれてありがとうございました。」

 

たくさんの嬉しい言葉をもらって、何度も読み返して、読むたびに涙がでました。

私が教えたことは間違ってはいなかったんだな、と思えて、少し自信になりました。

思春期の中学生は、難しい。心のもやもやに、自分自身が気づけていないことも多いでしょう。"自分を認めること"の大切さを、美術を通して知ることができた生徒が一人でもいたなら、私は教員になって良かったと心から思うことができます。

 

辞める時に一番引っかかっていたのが、生徒のことでした。離任式で会った時に、私が感じていた罪悪感とは裏腹に、たくさん感謝をもらいました。

この子たちの先生になれてよかったです。

私の人生の中での良い悪役

3月中旬くらいから、4月の頭くらいまで胃腸炎のような症状がずっと続いていた。自分の体調のコントロールのできなさが悔しくて仕方なかった。もう元気になったと思う瞬間もたくさんあったけど、それでも心と体の不安定な波は定期的にやってきた。

一度、一緒にいた友人に救急車を呼んでもらったほど、体調を崩していた。しかし、病院に行っても異常が見つからず、もらった薬も全く効かなかった。

結局、ストレスが原因の過敏性腸症候群だったみたいです。

耳が痛くて耳鼻科に行ったときも、「凝りからきているので次に行くとしたら整体です」と言われた。

私は自律神経が狂っていました。自律神経の乱れからくる体調不良は、検査をしても原因がわからないことが多いみたいですね。

本当に、本気で死ぬかもと思って怖かった。この時の私は必死に生きてました。

 

4月の終わりに、私の次に着任した美術の先生に呼ばれ、学校で話すことになりました。本当は行くのが怖かったけど、断る理由もなく、行きました。

そこで管理職と話しました。校長に、「今は何をしてるの?」と聞かれ、「ずっと体調を崩していたので何もできていません。」とそのまま答えました。

「いや、大丈夫でしょ~~。早く仕事見つけて働いた方がいいよ。」と笑われました。

何を根拠に大丈夫と言ったのでしょうか。

 

帰りの電車、もやもやして、馬鹿にしてきたような発言に腹が立ちすぎて、泣きながら帰りました。

人の気持ちを考えられないような人が、学校のトップであるということが許せませんでした。

 

その4日後、離任式がありました。私は生徒に会いたかったので出席しました。

もうこれで最後だ、と思って。

 離任式2日前くらいに、副校長から電話があり、「生徒に休んでいた時の話をしてほしい。家に帰って保護者に説明できるような形で」と言われました。遠まわしに謝れと言われた感じでした。

離任式の日、校長が「副校長先生から言われたと思うけど、謝ってほしいんだよね。」と言ってきました。私自身、生徒に申し訳ない気持ちはもちろんあるので謝りたいと元々思っていましたが、謝ることを強要してくるのは違うんじゃないかなと思ってしまいました。

 

式は校長が離任する先生方を紹介して、その先生が前で話すという流れでした。

私の番になり、「去年は1、2年生に迷惑をかけました」と紹介されました。それは事実かもしれないけど、全校生徒の前で言うことではないと思います。

 

私は全校生徒の前で、休んでいる間は私の人生の中で一番苦しい時間であったこと・みんなとの美術の時間が、教師が素敵な職業であることを再認識できた時間であったこと・若いから大丈夫、とか周りの意見に飲まれずに、自分の心と体に耳を傾けられる大人になってほしいということ・楽しいこと、自分のわくわくを大事にしてほしいこと・みんなの先生になれて幸せだったこと、などを伝えました。

泣きながら話したら、一緒に泣いてくれる生徒がちらほらいました。自分の言葉で伝えることができて本当に嬉しかったです。

「先生の言葉を聞いて感動しました」「泣いてしまいました」とたくさん声をかけてくれる生徒がいて、本当に本当に、最後に生徒に会えてよかったです。

 

職員室では何度も校長がみんなの前で「早く仕事見つけてね」と言ってきてしんどかったです。

 

社会人になり、こんなに良い経験ができて、たくさんのことに気づけて良かったなと思いました。教員社会しか知らないけれど、良いところ悪いところをみっちりと見れて、濃い1年間だったなと今では思います。

経験は何にも代えられない財産であると実感しました。

 

離任式が終わったことでようやく色んなしがらみから解放された気持ちでした。